「怪士」と書いて「あやかし」と読みます。船出をしてから、好天気が一転、風が変り、大波が押し寄せ、船が陸地に着けない様子になった時、思わず口から出てしまう言葉が「この御船にはあやかしが憑いて候」です。海上を見れば、西国にて亡んだ安徳天皇や平家の一門が浮かんで見えます。弁慶までも、「かかる時節を窺いて恨みをなすも理なり。」と義経が不運になった時に、平家一門が恨みをなす事を、さもありなんと思います。「平家の怨霊や強かりけん、度々船を出しけれど、波風荒うして…」(源平盛衰記)、「西の風忽に烈しく吹きけるは、平家の怨霊とぞ聞こえし…」(平家物語)と人々も思った事でしょう。 平知盛の幽霊は、自分たちが沈んだ有様と同じ様に、「又義経をも海に沈めんと…」襲いかかると、波は巴の紋の様に渦を巻き、潮を蹴立て波を立て、悪風を吹きかけ、船の人々は、眼もくらみ、心も乱れ、前後を忘ずる有様です。 戦をした人は死後、その勝敗にかかわらず、修羅道へ落ちるとか申しますが、戦の作り出す、双方の「恨み」「怨念」を思うと、戦争の恐ろしさを思わずには居られません。能「船弁慶」では、怨霊は祈り祈られて消え、跡は白波となっておわりますが、この後、能では「忠信」「安宅」「摂待」「錦戸」と続く義経のその後を思うと、少年の時過ごした鞍馬の山を出なければ、どうなっていただろうか。能「鞍馬天狗」では、天狗は「人の為にはアダ」と言っていますが、あの天狗のせいで、どんなに多くの人が辛い目にあったか、もう一つ、もし戦もなく、その時代の改革がなされなかった場合とどちらが良かったのか、などと比べて考えさせられております。 平成17年11月18日「照の会」にむけて 平成17年9月 上田拓司 |