「岩船」 神代に空中を飛行したと言われる岩船に、宝を積んで、龍神が難波の津、住吉へ漕ぎ寄せ、金銀珠玉を降らし、御世をたたえます。当日のシテの装束、黒紅段龍の菱文様厚板と萌黄地篭目模様法被、及び龍戴は、彰敏の祖々父隆一より親子四代に渡っての使用です。
 「養老」「君は船、臣は水。水よく船を浮かめ浮かめて…」荀子の言うよき姿の御代。皆、持ちつ持たれつですよ、という事でしょう。山神が御代を祝って舞を舞給います。 このたび、私どもの次男、彰敏に「面掛(初めて面を掛ける)」を致させます。
 私ども、能楽師と呼ばれる者には、生涯の中に、これが「区切り」と感じる事が、何度かあります。特に大きな「区切り」の一つが「面掛(めんかけ)」です。
 彰敏の事を思い起こしますと、まず「誕生」。二歳で「初舞台」、八歳で「初シテ」。そして今年、十六歳で「面掛」。
 能は分業制になっており、上田の家は「シテ方」で「シテ」「ツレ」「地謡」「後見」を担当します。中でも「シテ」は能の主役であり、祖父の書付には「太夫」とも書かれており、座長がする役でありました。その「シテ」を初めて勤めるのが「初シテ」です。ただ「子方」の時代ですから、能面は使いません。そして今回初めて、能面を掛けます。これが「面掛」です。
 それ以外にも、十歳の時、能で大切に扱っております、「重習い」を初めて勤めた「千才」。また、幼稚園児の頃、天河神社で「百万・法楽之舞」の子方をさせて頂いた時は、あまりの寒さに、大人たちが震えていた中で、本当に小さな彰?が一時間半ほども全く身じろぎせず座っていましたが、親の方は、舞台の上で寒さのあまりオモラシでもしないかと、変な心配をした事なども忘れられません。又、小学校の中頃でしたか、福岡で「望月」の子方をさせて頂きました時は、申合が二日前にあり、常ならば自宅へ戻り、学校へ行かすべき所、福岡に滞在し、申合と本番の間の日にスペースワールドへ遊びに行ったら、ほとんど他の客がいなくて、貸切に近い状態だったような楽しい思い出もあります。
 これまでいろいろな事がありましたが、お力添えを頂きました方々に感謝致しております。今後もいろいろな事があると思いますが、この「面掛」にて、大人の中に交じり「シテ方」として出発させて頂きます事を、親として喜んでおります。将来、親の私とは違う、又、息子たち兄弟が、それぞれに違う、それぞれの自分の「能」を発見する事が出来るようにと願っております。
 観世宗家に、祝いに「養老・水波之伝」を願い、そして彰敏本人には、めでたい「岩船」を、舞わせます。

平成18年11月10日 照の会 「岩船」上田彰敏  (文、上田拓司)