砧」を見て アカデミヤ芦屋 代表 山本 正二 過日、神戸・湊川神社にて能・「砧」を見せて頂いた。芦屋の某という名でシテが登場するこの世阿観能は我々芦屋在住の人間にとって親近感の有る能作品の一つである。 この話の芦屋はお茶をする人には馴染みの深い九州の芦屋ではあるけれど作品中で表現されている女性の情念は古今東西を問わず複雑で、家を留守にしている亭主が年末に帰ると言ったのに帰れなくなったからといって妻に恨み死にされていては単身赴任している世の亭主族はやり切れまい。しかし、自分を恋焦がれて死んでしまう女性を持つということを内心、有り難く思わないものでもない。同じ様に家を留守にしている亭主を見舞う不幸を描いた作品に、フランスの大悲劇作家ラシーヌの古代ギリシャを題材にした「フェードル」がある。この作品の中ではあの古代アテネの英雄テーセウスが犠牲者となっている。つまり彼が留守の間に妻のフィードルが、テーセウスと先妻の間の息子イポリットに言い寄ってしまうのである。そしてそれが原因で息子イポリットも妻のフィードルも死んでしまう。残された亭主テーセウスの寂しい人生を思うとまだ我々芦屋の某は恵まれているではないか。 そのようにストーリーの中に女性の反応の理不尽を感じても上田氏の演ずる女性の幽艶な姿をみてしまうと我々男性はやっぱり女性をいとおしい存在と感ずるのを禁じえないのである。 |