「思いは涙、外目は舞の手…」 私は「仲光」のような、非人道的な能はやりたくないと、長い間思っておりました。 多田満仲は、息子の美女丸を中山寺へ、預けていました。しかし、当の美女丸が、「学問をば御心に入れ給わず、明け暮れ武勇を御嗜み候」という事で、満仲は「以っての外の御怒り」で、仕えている藤原仲光に、美女丸を殺してしまうよう厳命します。満仲は、大江山の鬼退治や、金太郎さんの名で親しまれている坂田公時の主君として名のある、源頼光の父です。多田源氏の名をと思うのか、「息子は立派に」と言うところでしょうか。 美女丸は、父の言葉を物越しに聞き、「はや自らが首を取り、父御の御目にかけ候へ」と言います。自分が同じ位の年齢ならば身代わりになるものをと言う仲光に、仲光の子、幸寿が、「はや自らが首を取り、美女御前と仰せ候いて、主君の御目にかけられ候へ。」と言います。自分の首をと言い張る二人に並ばれ、仲光は、ついに自分の息子、幸寿の首を落としてしまいます。 能には、愛があっての話が当然ながら多くあります。親が子を思う愛、恋人を思う愛、主従の愛…、等々。「仲光」は、子が親を思う愛を感じます。幸寿は、困っている父を前に、自分を身代わりにと言ってしまった様に思えてなりません。 ずいぶん昔、いまは亡き父が深酒をし、なかなか家に帰らない事がありました。当時20歳を少し越えた私が、父のかばんを持ち、よく御伴をしておりました。酔った父が、隣の席の見ず知らずの方にずいぶん失礼な事をしておりました。私は、父を諌止する事も出来ず、もし、隣の方が怒って殴りかかってきたならば、すかさず自分の顔を出して代りに殴られようと心に決めて、ずっと様子を窺っていた事を思い出します。 又、私の三男は、何度か幸寿をさせて頂いておりますが、「アホの為に死ぬ役は嫌や」と言うと、兄たちが、「美女丸と代ってやろうか」と言い、三男が「アホの役はもっと嫌や」などと言っているのを、横で黙って聞いております。 美女丸が満仲に許され、仲光が舞を所望され、その座で舞を舞っている時の謡が「思いは涙、外目は舞の手」です。心は泣いているが、それを隠し人目には舞を舞っているのです。この舞を所望するのが、美女丸をかくまった比叡山の恵心僧都です。全てを心得て、あえて仲光に舞を所望するのでしょう。再び寺へ向かう時、仲光が「この度の御不審人為にあらず。かまへて手習学問ねんごろにおわしませ」と美女丸に言い、「幸寿が御供ならば」と「うちしおれてぞ留まりける」と終わります。 以前、子供たちに、「お父さんやったらどうするか」と尋ねられ、「お父さんやったら、二人連れて逃げる」と答えた事がありましたが、本当に切羽詰ったらどうなるだろうかと、今でも本当には答えられないでおります。 私共の次男は、今回の美女丸の役で、子方を終了させていただきます。昨年、今年と続いて紫綬褒章受章の、大槻、福王両先生、そして、父照也がこの世を去った後、長期に渡り上田の家を指導して下さった浦田先生に囲まれ、最後の子方を勤めさせていただきます。特に、以前拝見した満仲が忘れられず、師にツレを願うと言う失礼を顧みず、お願いしました所、即座に良い返事を頂きました大槻先生に感謝致しております。満仲には、その時はカッと短気を起こしても、やはり最後は、「子供が生きてさえいてくれればよい」と言う、親の姿を思います。 美女丸自身は、その後改心したのか、名僧源賢となったそうです。幸寿の為に忠孝山小童寺を建立しその菩提も弔ったそうです。今もその地に「幸寿丸」「美女丸」「仲光」の墓が苔むしてたたずんでいると思うと、「思いは涙…」に続く「後れ先だつ浮世の習い」という謡が身にしみる様に思います。にとって美女丸の役で子方を終える事が、「大人への種」となって欲しいと思います。 子方を終えた、親子ともども今後ともご後援をお願い申し上げます。 「仲光」へ向けて (14年12月11日) |