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宜照の舞台レポート | ||||||
くまさか | |||||||||
天命の。運の極めぞ無念なる。 | |||||||||
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都方の僧が東国修行の途次、美濃の赤坂まで来ると、一人の僧が出てきて、古墳に回向を乞います。都方の僧が回向する者の名を問うと「たとえその名は申さなくとも、経文にも仰せられた『一切の衆生は皆一様に仏の慈悲利益を受け、生死の迷苦を免れて成仏せよ。』(法界衆生平等利益)との御回向を受ければ結構なので、どうか何も言わずに回向してくれ。」と頼みます。その後、地元の僧は都方の僧を自らの庵室に案内します。侍仏堂には武具があった為、都方の僧が不思議に思い尋ねてみると、山賊などに襲われた人々を助けるためだと答えられます。やがて地元の僧は寝室に入るように見えましたが形も消え、今あった庵室は草むらとなり、吹き付ける秋風の寒さに僧は一睡も出来ず、やむなく一晩中読経し、一夜を明かそうとしました。僧が読経していますと何処からか薙刀を持った僧形の男が出てきて、自分は熊坂長範の亡霊であると名乗り、都から奥州へ下る吉次吉六兄弟を襲おうとしたが逆に牛若に返り討ちにあったことを語り、未だに成仏出来ない為どうか後世を弔ってくれと僧に頼み、松蔭に消えて行きます。 この曲を思う時、殆どの人が「因果応報」という言葉を真っ先に頭に浮かべるでしょう。「自分の行った悪行は、必ず自分に害となって帰ってくる。」確かに熊坂を見る限りはそう思います。しかし、その後奥州へと下り数々の苦難を乗り越えて平家を打ち滅ぼすも兄頼朝に憎まれた挙句、藤原泰衡に攻められ僅か三十歳でこの世を去った義経のことを思うと「天道是か非か。」という思いのほうが強くなります。活躍を評価されず、結果的に死を賜った義経の心情はどのようなものでしたでしょうか。ここで、謡の中にある「天命の。運の極めぞ無念なる。」という言葉が生きてくるのではないでしょうか。熊坂長範が牛若の存在を知らずに吉次吉六兄弟を襲ったのも、義経が僅か三十歳で無念の最期を遂げたのも、まさに「天命の運の極め」だったのではないでしょうか。能「熊坂」という曲は熊坂が牛若に討ち取られたというだけの曲ではなく、その後の義経も形こそ違えども同じ悲運に見舞われ無念の最期を遂げる。どのような人間でも最期には、それがたとえ是であろうとも非であろうとも「天命」を迎える。 偶々義経も熊坂も「非」の「天命」を迎えただけである。というような教訓を作者はこの曲に織り込みたかったのではないでしょうか。 平成17年11月5日「青年研究能 熊坂」にむけて 上田 宜照 | |||||||||
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